【秘書ログ】 主権回復式典の裏側で"裏切り者"とのレッテルを貼られた議員の話

2014年5月 2日 18:01 | 秘書ログ
 4月28日は、1952年の同日、日本がサンフランシスコ講和条約の発効により主権を回復するとともに国際社会に復帰した日である。今年は、大きな関連報道に接しなかったが、この日は、ある種の異様な光景とともに私の記憶に深く刻まれている。
 それは、昨年3月下旬の自民党本部8階の薄暗いホールでの出来事であった。沖縄選出の国会議員を照らし出したライト。突き刺すように発せられた言葉の数々。政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」の開催を前にして、自民党の全議員懇談会の会場は張りつめた空気に包まれていた。
 そこで聞かれた話を反芻すると、「小・中・高と米ドルで過ごしてきた。沖縄にとっては頼りにしてきた親であった本土から切り離された日が4月28日でもある。沖縄屈辱の日とする県民もいることに思いを致してほしい。」「期限切れした缶詰、虫の入ったコメ、飼料用のトウモロコシ、これらを食べつないで生きてきた。色々な記憶の中で生活している事実を忘れてはならない。」「沖縄も日本の1つである。未来を見つめられるような式典にすべきである。」
 安倍総理自身が式典開催の閣議決定の際に述べられたように「奄美、小笠原、沖縄が、戦後の一定期間、我が国の施政権の外に置かれたという苦難の歴史がある」。それゆえ、会場の誰もが一つ一つの言葉に耳を傾けていた。そして、沖縄の気持ちをその場にいる誰もが共有するところとなった。沖縄の抱える問題は複雑ではあるが、気持ちを汲み取れるこの沖縄選出の国会議員たちと一緒になって解決するしかないと自然に思われた。
 しかし、その後の11月、この議員たちは、普天間基地の辺野古への移設容認に転じたことで、一部のマスコミ等から「沖縄の裏切り者」というレッテルを貼られ厳しく非難された。
 SNSの発達で誰もが情報発信者となれる今の時代では、相対的にマスコミの地位が低下し、普通に記事を書いたりニュースを流したりするだけでは人口に膾炙しなくなった。こうしたことから、極端なポジション取りをせざるを得ないのかもしれない。だが、人の想いと行動はそんなに単純なものではない。一部のマスコミ等から"裏切り者"とされた議員たちを思い出してそう思った。 〈秘書W〉

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