インタビュー

  • 2010年12月 5日 12:00

     【残された時間はあまりない 問われる財政のマネジメント】

     財政について、内閣府の中長期試算では、慎重シナリオでいっても、十年後にプライマリーバランスを均衡させるには二十兆足りない、という結果になっています。しかもこの計算には、マニフェスト関連予算は一円も入っていないのです。マニフェストに必要な財源は十六・八兆円ですから、もし財源がでないままマニフェストを実行すれば、その分が二十兆にさらに上乗せされることになるわけです。事業仕分けを第三弾までやりましたが、財源はでてきましたか? せいぜいフローで二兆円くらいです。それならそろそろ、そういうことも踏まえて財政の展望を示さないと、破綻シナリオじゃないですか、ということです。

     今、歳入歳出の議論、とりわけ歳入の議論を消費税も含めて与野党でやろうといっていますが、自分たちのマニフェストを除外した財政試算じゃ、議論なんかできません。本当に議論しようというなら、まず現実を直視して、マニフェストのここはできない、ここはやる、その代わりこれだけ財政の悪化要因になります、というものを出さなければ議論になりません。ということを委員会でも言っているのですが、海江田さんも玄葉さんもはっきりしないんですね。私は内閣委員会で「あなたたちのような、政策通で誠実そうに見えるみなさんが、一番罪が重い」とはっきり言いました。出来もしないことを出来ると約束するときに、なぜ「それは無理だ」と言わないのか。本気で出来ると思っていたんですか、と。民主党を支持したみなさんからすれば、「本当にできるのかな」と思っても、政策通で誠実そうなみなさんが「出来る」というから、「それならば」と一票を投じたわけでしょう。

     やはりリアリティーのある政策論争をしなければなりません。財政の問題は、要は債務をコントロールするという話で、かなり緻密な議論になるわけです。プライマリーバランスの均衡に向け、慎重シナリオでみて五年、十年でどう整合性をとっていくかということですから、そこに不確定要因の十六兆を入れるのか、入れないのかというようなことでは、とてもまともな議論できません。マニフェストの財源全額、十六兆を乗せるというなら、それでもいいんです。ただしその場合は消費税25%の世界になりますね、と。それはそれで、合理的整合性のあるひとつの政策パッケージです。そうではなくて、十六兆は出すが税は上げないというような、国民をだますような議論はやめるべきです。

     残された時間は、もうあまりありません。私も専門ではないので詳しくはありませんが、よく日本の国債は国内で消化されているので、ギリシャのようにはならないといわれます。確かに個人資産が一千五百兆あるといいますが、負債もありますからネットだと一千兆くらいとも言われています。そうすると今年か来年あたりで、国内の個人資産と財政赤字がトントンになるわけです。問題はそれを越えたとたんに、今度は海外で消化しなければならなくなります。今は国内だけでやっているので「ガラパゴス」状態ですが、海外で消化するとなれば金利が一気に上がるでしょう。母数が大きいですから、金利が上がればとたんに利払いが税収を上回るという局面が来る。

     そうならないためにも、五年、十年後にプライマリーバランスを均衡もしくは黒字化する、そのリアリティーあるシナリオ、解決策はこうです、というものを示しておかなければならない。マニフェストの財源である十六兆を除外した財政の中長期試算、では話にならないのです。政権担当能力には、外交、国防などとともに経営、マネジメントが必須です。それはざっくりいうと、入と出をコントロールすることと、破産しないための資金繰りということだと思いますが、民主党政権にはここが欠けているといわざるをえません。

                                         おわり

  • 2010年12月 4日 14:34

     【自民党は、リアリティーのある選択肢を国民に示せるか】

     私は小泉改革で「自民党は変った」と思い、自民党から立候補したわけですが、小泉改革のよかったところは、政策が合理的だったところです。もちろんその政策を支持しない人もいらっしゃるわけですが、少子高齢化時代でこれだけ財政支出が増えていく、できるだけ増税せずにやっていこうとすれば歳出を削るしかありません、それも(現状から削減するのではなく)これから増えていく分を何%抑制しましょうと。そういうパッケージとしての合理性があったと思います。それを選ぶか、選ばないかは国民の選択です。

     ところが小泉改革後は、自民党にも民主党にも政策の合理性がまったくありません。小泉改革で大変な副作用があったということで、その後の政権は副作用を緩和することをやっただけです。それは解決する政策とは程遠かったと思います。小泉・竹中改革はけしからん、というのであれば別の政策パッケージを示すべきですが、何もありませんでした。
    民主党政権はもっとひどくて、解決のためのパッケージはなし、困っている人にお金をあげる、あるいは無料にする、財源は後で考えると。財源がないものは政策ですらありませんから、政治がものすごく劣化してしまいました。民主党的な政策というのは、選択肢としてはありえると思います。しかしその場合は消費税を例えば25%いただきます、ということでないと、合理的な政策的パッケージにはなりません。それを選ぶかどうかは、国民のみなさんの選択です。

     われわれ政治家、政党がやるべきことは、プロとして経済的財政的に合理性のある政策パッケージを提示して、みなさんが選べるようにすることです。そうでないと、民主主義は機能しません。私は青年会議所で公開討論会をずっとやってきたのでよく分かるのですが、今の状態ではまともな選択肢がありません。たとえて言えば、熱があるから医者に行ったら、片方では「水風呂に入って体を冷やせ」と言われ、もう片方では「毒を薄めたアメをなめていろ」と、まともな薬を処方してくれるところがない状態です。できもしないものを「できる」といったり、「財源はいくらでも出てくる」とまるでリアリティのないものを示して、「国民のみなさん、どちらを選びますか」というのでは、政党の責任をまったく果たしていません。

     この点では自民党も反省しなければいけないのは、小泉改革後は緩めただけで、何もしていないことです。痛みや副作用のところに手当てはしましたが、トータルとしての解決策、処方箋は示せなかった。そこに民主党はさらに、まったく合理性のないマニフェストを持ってきて「できる」といった。フローで十六兆円(マニフェストの政策の財源として)出てくる、なんていうのはありえない話です。先日このことを委員会で質問したら「自民党だからできない、民主党ならできるんだ」と言われましたが、「できない」ことはもう明らかになっています。

     では自民党はどうするのか。最近一部には「われわれは野党なんだから、思い切ったことを打ち出せ」という声もありますが、そうではないと思います。やはり求められているのはリアリティーです。バラ色の未来を描くことはできませんが、こうやって、こうやれば、全体の帳尻が合うという話です。マニフェストというのはそういう整合性のとれた政策体系で、それを打ち出して、誠実に訴えることに尽きると思います。国民のみなさんが求めているのは、トータルとして政策の整合性が取れている、そういうプロとしての政治です。財政の整合性、政策の整合性がとれた政策パッケージを打ち出せるか、が問われていると思います。

     民主党政権があまりにひどいので、改革道半ばのまま、自民党に政権が戻ってくる可能性もあります。しかしこのままでは、長続きしません。そこまで意識して、どれだけ自己改革ができるか、だと思います。政権が戻ってきたら、そこで改革が足踏みしたり、場合によっては後退することもありえます。権力を握ったら、それを維持するためだけに動くようになり、また国民の意識から乖離して不信感を抱かれる、ということにもなりかねません。いまの状態でわれわれに政権が戻ってきたとしても、それはわれわれに対する期待感が高まったからではありません。そんなものは長続きしない、という前提のうえでどういう議論ができるかが重要だと思います。

                                         つづく

  • 2010年12月 3日 14:52

    【民主党政権の政策を対象外にするなら、事業仕分けは単なるパフォーマンス】

     民主党はわれわれがやっているのを見て、事業仕分けを始めました。当時河野太郎さんと構想日本が作った事業シートも、そのまま使っています。構想日本からそのことを打診されたときに、われわれも了解しました。与党になって、それを政権の目玉政策として行っていること自体は、別に悪いことだとは思いません。これまでそういう機能(予算を削減する機能)がなさすぎたことが問題ですから、大いにやればいいと思います。

     自民党のなかには、事業仕分けについて「パフォーマンスだ」とか「法的根拠が不明」というような否定的な意見もありますが、私は前向きにとらえるべきだろうと思っています。ただそうは言っても、事業仕分けはまだ発展途上にありますから、これからどう深化させていくかという課題はあります。

     ここまでで第一弾、第二弾、第三弾の前半までが行われていますが、結構われわれがやったものをトレースしているところもあるんです。それは構わないし、どんどん他のところにも広げてもらえばいいと思いますが、第三弾の後半のいわゆる「再仕分け」、これは質の悪いパフォーマンスにすぎません。仕分けの結果をどう反映させるかということは、行政刷新会議と各省庁の政務三役でやればいいだけのことで、一回仕分けたことについて、ふたたび役人をひっぱり出して「けしからん」とやるのは、性質(たち)の悪いパフォーマンスです。事業仕分けで、パフォーマンスはやってはいけない。逆に、本来の事業仕分けも否定されることになるからです。

     また特別会計の仕分けも、結論は「当たり前すぎる」ものが多い。これだけ準備してきて、もっと踏み込めなかったのかという気はします。例えば外為特会について、埋蔵金をどう組み入れるかルールを作りなさい、ということですが、どういうルールを作るかには踏み込んでいない。財投特会でも、「そもそも財投は必要なのか」という議論はありませんでした。

     税金を使って政策をやるわけですから、それが時代にあっているか、無駄はないか、ちゃんと機能しているかといったことをチェックしていくことは大事なことだと思いますが、民主党政権の事業仕分けの最大の欠点は、自民党政権がやったことを仕分けしているだけで、自分たちのやったことは仕分けの対象外だということです。今回、長妻さんの「年金記録の突合」をとりあげましたが、そもそも「突合」自体が合理的なのか、という議論はありません。やっていることはいいが、やり方を考えたらどうか、という議論です。

     自民党の事業仕分けチームでは、構想日本の協力を得て、仕分け人のみなさんとともに、民主党の二十二年度予算を仕分けしました。本当は決算を終えてから仕分けするので、詳細には「政策たな卸し」というのですが、結果は、子ども手当「廃止」、高速道路の無償化実験「廃止」、農家の戸別所得補償「廃止」でした。理由は簡単で、兆円単位の税金を投入するにもかかわらず、何をもってこの政策が成功したかという目標もない、期限もないからです。

     たとえば子ども手当であれば、当初計画では五兆円近い税金を投入するわけですから、出生率を何年後にどこまで上げるのかというような、何らかの計測可能な目標があってしかるべきです。にもかかわらず、そういうものが何もない。農家の戸別所得補償についても、例えば農業の国際競争力をどれだけ高めるか、あるいは国内の需給率にどれだけ貢献できるか、という議論も目標値もありません。高速道路の無償化実験についても、そもそも何をもってこの実証実験が成功したとみなし、次のフェーズにすすむのか、そういう議論がまったくない。こういう冷静な議論をすると、全部「廃止」ということになるわけです。

     民主党政権の事業仕分けに対して言いたいのは、事業仕分けをやるのは大いに結構ですが、対象を限定すべきではない、自民も民主もなく、政府の政策全部を事業仕分けにかけるべきだということです。自民党政権がやってきたものはすべて悪、民主党政権がやっているものはすべて善、ということではないはずです。来年も民主党政権が続いていて、事業仕分けを行うのであれば、二十二年度予算を聖域なく事業仕分けにかけるべきです。とりわけ問題になるのはマニフェスト関連ですね。それができるなら、民主党の事業仕分けを大いに評価しますが、民主党政権の政策は仕分けの対象外ということなら、単なるパフォーマンスにすぎないということです。

                                         つづく

  • 2010年12月 2日 17:22


     【自民党からはじまった事業仕分け 政党の機能としての位置づけ】

     そもそも、それまで地方政府で行われていた事業仕分けの手法を国政に取り入れたのは、自民党の「無駄撲滅プロジェクト」(通称ムダボ)の河野太郎チームでした。私もそのときのプロジェクトメンバーで、これは画期的なことだと思いました。当時は自民党の中でも「また河野太郎が変なことをやっている」という空気でしたし、文部科学省と環境省しかやらせてもらえませんでした。厚労省、国交省、農水省、経産省といった大所には「手をつけてはいかん」と言われていました。

     実際に仕分けてみると、百パーセント無駄だというものは、さすがにほとんどありませんでしたが、政策目的を持って予算をつけているはずなのに、現場ではほとんどそれが機能していない、といったことはかなりありました。また各省庁のランニング・コスト、出版物とかホームページなどにもメスをいれました。そうしたことを通じて、財源もかなり生み出しました。これを徹底的にやれば、ざっくり二兆円くらいはフローで出てくるのではないか、というのが私の感覚でした。

     当時は麻生政権でしたが、私は「自民党は無駄遣いに関して感性が鈍い」と国民のみなさんから見られているのだから、事業仕分けの手法で全省庁をわれわれにチェックさせろと言っていました。また事業仕分けをイベントにするのではなく、党の機能としてビルドインしろということも、提案していました。そうすることで財源も出てきます。当時「骨太の方針二〇〇六」で社会保障費を五年間で一兆一千億円削る、としたことがずいぶん批判されていましたから、そういうことに対する財源に充てればいいではないか、とも言っていました。残念ながら取り上げられませんでしたが、これをやっていれば自民党もかなり変っていたと思います。

     われわれの事業仕分けでは、まず党の組織として(政調会長の下で)事業仕分けをやって、その結果を提言書にまとめ、もう一度党の部会で議論をします。例えば文部科学省の事業を仕分けして、「廃止」とか「縮減」という結論を出したら、それをもって党政調の文部科学部会に行くんです。そこにはいわゆる文教族といわれる、文部科学政策に精通している先生がいるわけですが、こういう先生がたとわれわれが議論をして、ここで党としての結論(=決定)を得るわけです。これまでなら、政治家は役所や業界を代弁して「予算をつけろ」といっていればよかったかもしれません。それに対して主計局あたりが「財源がありません」と言う。そういう役人vs政治家のやりとりでは、政治家は大きな声を挙げていればよかったわけですが、これは、仕分けチームの若手が「これは削るべきだ」と言い、政策通の先生がたが「予算をつけろ」という政治家同士の議論になるわけです。こうなると、役所の理屈に乗っかっているだけでは、われわれに論破されてしまいます。「先生、そうはおっしゃいますが、現場はこうなっているんです。それで本当によろしいんですか?」 と言われると、それ以上反論できない。こういう議論を通じて党としての結論をまとめていく、というのがわれわれの事業仕分けでした。

     このときのことからも、事業仕分けというのは非常に突破力のあるものだと思っています。また政党のなかではこれまで、「予算をつけろ」というベクトルの機能はいくらでもあったわけですが、「予算を減らせ」というベクトルの機能はほとんどありませんでしたから、そういうものを党のなかにビルドインすることは重要だという認識を持っていました。いずれわれわれ若手が党運営を主導するようになったときには、事業仕分けをやるべきだと思っていましたし、事業仕分けを総裁選の公約にして、若手候補を擁立したいとも思っていました。

                                         つづく

    「がんばろう、日本!」国民協議会機関紙
     『日本再生』第379号より
     www.ganbarou-nippon.ne.jp

  • 2005年8月 1日 16:52

    日経ベンチャー
    2003.11月号

     

    月刊ベンチャーリンク
    2004.1月号

     

    経済界
    2003.11.18

       

    早稲田学報
    2005.8月

       

    日本の論点2004
    文藝春秋編

     

    経済界2005
    2005.8月

     

    スポーツニッポン
    2004.7月

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